こんにちは、望田和希です。
今回はコミュニケーションについて記事を書いてみたい。
ところで、コミュニケーションって何でしょうか?
日本語では「意思疎通」と訳されることが多いと思いますが、ドンピシャリな訳語は無いのではと私は思っています。
それでも誰もが迷うことなくコミュニケーションという言葉を使って(日本語で)会話をしています。実際のところ何も困っていないでしょう。
「お客さんとコミュニケーション取ってくる」なんて仕事の場で普通に言いますから。
以下では、コミュニケーションについてちょっと深掘りしてみます。
非暴力的コミュニケーションとは?
この見出しを見てどう思いますか?
「コミュニケーションってそもそも話し合いなんだから、非暴力的に決まっているだろう」って?
私は先日、この「非暴力的コミュニケーション」(NVC = nonviolent communication) について知る機会がありました。
「非暴力的」とあるからには、その対立語として「暴力的コミュニケーション」もあります。
こんなことを言っていないでしょうか?
(親が子に対して) 「宿題しなさい」「勉強しなさい」「早くしなさい」
(上司が部下に向かって) 「君はいつも遅刻をしている」
(妻が夫に向かって) 「仕事ばかりで家族を無視している」
これらはいずれも暴力的コミュニケーションです。
(子供の立場では) 今から宿題しようとしているのに。
(部下の立場では) 週に4回は定刻に出勤しているのに。
(夫の立場では) 仕事をして家族を養っているのに。
言われた方はカチンときますから、これじゃコミュニケーションがうまくいくはずがありません。そのため (乱暴な言葉遣いですが) 暴力的コミュニケーションという分類をします。
(★) 非暴力的コミュニケーションは「相手を思いやり、与え/与えられを楽しむ」ことを前提にします。事実を正しく「観察」し、観察に対して抱く「感情」を率直に表現します。そして、話者が必要とする「ニーズ」を表現して要求を伝えること、と言われています。
先ほどの上司と部下の例では、こんな感じになるのかもしれません。
「君は週に1度は遅刻をしている。始業開始の朝礼に間に合わないので周囲にも示しがつかない。遅刻をしないようにしてほしい」
こう言われると、(遅刻がなくなるかは別として) 上司の言うことは確かにそうだと思うでしょう。
もし非暴力的コミュニケーションが当たり前になれば、国家間の戦争や個人間のトラブルといったあらゆる諍いごとがなくなっていくでしょう。
相手の国を思いやる気持ちが前提にあれば、領土を侵略してやろうという行動はありえません。不愉快な国としての行動があるとしても、事実に基づく観察と、それに対する感情、そしてニーズを伝えれば良いです。
しかし実践はとてつもなく難しい
上記のようなことを学習したのですが、理想論に近いというのが率直な感想でした。
上の(★)にある「観察」「感情」「ニーズ」をその場その場のアドリブで瞬間的に整理して、それを言葉して発することができるのか、という点です。
文章にすれば推敲できますが、会話というのはリアルタイムです。
実践するには相当のトレーニングが必要になるのは間違いないです。
では、この学習は無駄だったのでしょうか?
いいえ、そんなことはないです。
私はいろんな知識を貪欲に吸収するのは、それだけでも意味があると考えます。
「勉強すればするほど世の中の解像度が上がる」と言われるのも同じです。
知っているか、知っていないかが大きな違いです。
非暴力的コミュニケーションを知識として持つことで、それを道具として使うことができます。
まずは全く利害関係が発生しない、もしくは何を言っても全面的に自分を受け入れてくれる相手で使うのが良いと思います。
(利害関係が発生するとマウントの取り合いになります。上で例として挙げた国家間の交渉ごとには利害が発生するので現実はそう甘くありません)
暴力的コミュニケーションの是非
暴力的といっても決して意図してケンカを売ろうとしているのではないです。
先に触れた「勉強しなさい」も、決して親が子供にケンカを売っているのではないです。子供のことを思うあまり、つい頭ごなし的に言ってしまうのでしょう。
とはいえ、注意して言葉を選ばないと、暴力的、つまり人を傷つけてしまうことになります。
得てして人はそちらの方がずっと得意です。SNSの炎上発言に便乗して悪口や誹謗中傷、ヘイトを書く人のなんと多いことか。
私はどう思っているのかというと、暴力的コミュニケーションは必要悪という立場です。
人を傷つけるのは一般論としてよくないですが、無くなるとそれはそれで困る。
一例を挙げると、自分自身を守るためにそれは必要です。
私が30歳を過ぎたくらいから、近づいてくる人の一部が私のお金目当てに来ていることに気づきました。
投資案件の勧誘なんてまさにそれ。
全ての投資案件が胡散臭いとはいいませんが、悪意を持って私のお金を自らのビジネスに組み込もうとしている連中です。
そういった人たちには、自己防衛の意味で暴力的コミュニケーションは必要でしょう。
それはもはやコミュニケーションとは呼べず、自分に害があると判断した人間との関係を断つのですから。
いらないものについては、相手の状況なんぞ忖度する余地は一切なく、「不要です!要りません!」ときっぱり、そして無慈悲に断ることが必要です。
こんな連中に非暴力的コミュニケーションを適用することないです笑
非暴力的、暴力的という観点でコミュニケーションを掘り下げてみました。
皆さんの思うところがあれば教えてくださいね。
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