小中学校での音楽の授業で歌のテストはイヤだった

雑談
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皆さんはカラオケに行くことはありますか?

通信カラオケの普及で、リリースされたばかりの曲でも歌えるようになっていて、マイナーな曲の要求にも応えられるようになっていると思います。

カラオケは代表的なレジャーの一つになっているといえます。

私は友人に誘われると行くことはあったのですが、ここ数年のコロナ禍で飛沫が悪者にされているため、友人と行くことは一切なくなりました。

ところが、「カラオケに行くのが好き」という人であっても、小中学校で音楽の授業でやらされた歌のテストにはイヤな思い出を持つ人が少なくないのではないでしょうか?

実際、私も歌のテストは大嫌いでした。音楽の先生が「来週の授業では歌のテストをします。歌ってもらう曲は○○です」と言うと、その日から憂鬱でたまりませんでした。

大人になったらカラオケに行くようになるのに、なぜ子供の頃の歌のテストはイヤだったのでしょうか?

小学校での歌のテストのイヤな体験

小学校の頃、授業を聞いていてもあまり面白くなかったので、教科書に落書きばかりしていました。

その中でも音楽の教科書は格好の落書き帳でした(笑

なぜなら、挿絵が多くてそこにいろいろ描き込めますし、楽譜には替え歌を作って書けるからです。挿絵のほとんどに落書きを、そして楽譜にはほとんど替え歌を作って、オリジナルの歌詞に足していました。

落書きも替え歌も、目的は笑わせるためのネタ帳です。

5年生のあるとき、先生が歌のテストをやると言いました。児童は出席番号順にならんで先生が弾くピアノの近くで待機します。

私の順番が来ました。人前で声を出すのが苦手で、さらに音階をつけて歌えというのは、非常に緊張しました。

そして、歌のテストの題材となった曲は、私が盛大に落書きをしていたページでした。

先生がピアノを弾いているとき、次の出席番号の子が私の教科書をのぞき込んで、落書きの内容を読み始めました。

自分で描いた落書きなのに、その子の声を聞いて耐えられなくなり、満足に歌えずに笑ってばかり。

あがって、緊張して、なんとか歌おうとしているのに、その子に意識が移ってしまって、歌うことより笑う方に釣られてしまいました。

その子からすれば私を笑わすつもりはなく、ただ面白いものが目に入ったから読み上げただけ。

最後まで満足に歌えませんでした。そして先生からの一言、

「アンタ、笑ってばっかで全然歌ってなかったな。アンタの点数はCや!」って。

「おいおい、そりゃないで。確かに笑ったけど、それは後ろの子が笑わせたから……」というのが私の気持ちでしたが、引っ込み思案の私にそんなこと言えるはずなく。まぁ、引っ込み思案でなくても小学生の児童が先生に意見するなんてできるはずなく。先生の言うことは絶対ですから。

そして「C」というあだ名をつけられる羽目に。

お前が笑わせたからだろうに……「C」はその日だけだったのですが、歌のテストにまつわるもっともイヤな体験がこれでした。

その笑わせた子は今でも大事な友人の一人です。

歌のテストが嫌いになる理由

大人になるとカラオケに行くのに、なぜ歌のテストは嫌いだったのか?

その理由はよくわからなかったのですが、ヒントを与えてくれる動画がありました。

詳しいことは動画を見てほしいのですが、私が気になったのは次の点です。

  • 歌のテストは先生が成績をつけるための手段
  • うまく歌う方法を授業で教えてくれない

1つ目の成績をつけるための手段という指摘は百歩譲って認めるとしても、2つ目の上手な歌い方を先生が指導しないという指摘にハッとしました。

思い出してみれば、合唱コンクールなどの行事に備えて、クラス全体としてうまく歌う方法を先生が指導してくれたことはありました。

しかし、一人ひとりの児童生徒に対して、音楽の先生が上手に歌う方法を指導することはありません。

先生のピアノ伴奏の元、クラス全員で歌のテストの課題曲を歌うことはあっても、一人ひとりには指導してくれません。

これは音楽に限らず、美術、体育、技術家庭という実技系科目に共通して起こっている問題点です。

美術で、上手な作品を作るにはどうすればよいのか?

体育で、走るのが速くなるにはどうすればよいのか?

成績評価が必要である以上、何らかの試験をしないといけない。しかし、より良い成績を取るための指導はされていない。

音楽も体育(スポーツ)も本来は楽しいものであるはずなのに、学校教育が「嫌い」を生産していないだろうか?

成績評価から自由になれば

歌のテストでイヤな体験があったのに、なぜカラオケには行くのか?

私は「成績評価がないから」と考えました。

もちろんそれ以外にも、「好きな曲、歌いたい曲が配信されている」「趣味の合う仲間と行く」「歌うこと以外の付加価値がある」などの理由もあります。

学校という場は先生が絶対的な権力者で、成績評価つまり通知表(内申書)の呪縛があれば、よほど歌うことに抵抗がない(言い換えれば歌が上手い)児童生徒以外はイヤな体験だったと考えます。

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